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新宮山 登山 ~ソロの覚醒~

運動不足

12月23日に発症した酷い風邪は、20日近くも経ってやっと治まってきた。
お陰で体はなまりきり、正月太りも重なり体が重い。
この日は、朝起きてからの思い付きで、阿武町の神宮山に一人で登ってみることにした。神宮山には1,478段の階段があるとネットで見たことがあり、往復すればトレーニングにちょうど良い。

御山神社

神宮山の麓には、御山神社があり、ここがスタート地点となる。
神宮山の標高は483mで、山頂付近には御山神社の奥宮があり、登山道はその参道である。麓の神社が「山」を名乗り、奥宮のある山が「宮」を名乗っているのだ。
御山神社には、全く人気がないものの、境内は整然と細やかに手入れされており、地元の方々の信仰心の厚さを感じる。

登山開始

御山神社から道路を少し登ると、神宮山への登山口が案内されている。
しばらくは、耕作放棄地の横や間を抜ける道を歩く。振り返ると、谷間の向こうに海が見え、昔は、ここで農作業をする人たちがいて、手を休めると海を眺めていたのだろうと思いを馳せる。

参道始点

その先に手水舎があり、ここから参道が始まるのだろう。
訪れる人はそういないだろうが、山中に佇んでいる割に、枯れ葉が堆積している訳でもなく、手入れが行き届いている。
1,478段の階段は、その先から始まる。

階段

鬱蒼と茂る森の中に、ひたすら続く階段。
一段一段の段差は小さく、脚への負担も軽い。
百段毎に、段数を示す小さな案内板が、階段脇に立ててある。
静かな森の中を、一人、唯々階段を登る。

ソロ登山

俺は元来の寂しがりやであり、一人での行動を好まない。友達がいない寂しい奴ではない。
しかし、この日は、トレーニングがてらの登山であり、山頂で昼飯を食ったらすぐ帰る予定である。そんなスケジュールに人を付き合わせる訳にもいかないので、仕方なく一人で行動しているだけだ。
今まで、色々な山に登っているが、いつも誰かと一緒で、もしかするとソロ登山は初めてではなかろうか?階段に息を切らせながら、そんなことを考えていた。
いや、そんなことはない。突然、思い出した。
もう20年近く前になるが、バックカントリースノーボードをしたくて道具を揃えたが、雪山の知識が無く、一緒に行ってくれる経験者を探したものの見つからず、気持ちを抑えられずに一人で雪山に登ったことがあった。
それが、初めてのソロ登山だ。初めてのソロ登山が初めての雪山とは、我ながら怖いもの知らずだった。

第一休憩ポイント

四百段と五百段の間に、視界の開けた休憩場所が準備されていた。
休憩してくださいと言わんばかりのその場所に誘われるままに、ザックを降ろし、休憩する。
ハイペースで階段を登り火照った体を、海からの涼しいそよ風が心地よく冷ましてくれる。
い~眺めだ。と思っても共感し合える仲間は、ここには誰もいない。それがソロ登山である。

鳥居

八百段を超えたところで、やや平坦な少し開けた場所に立派な鳥居が立っており、改めて、ただ山を登っている訳ではなく、奥宮へ向かっているのだということを認識させられる。
そして鳥居をくぐると、ひたすらに直線的に伸びる階段が俺を挑発し、山を登っている訳ではなく、奥宮へ向かっている訳でもなく、トレーニングが主目的であることを思い出させる。

第二休憩ポイント

千百段を超えたところに、二つ目の休憩場所が準備され、ここも見晴らしが確保されている。
ザックを降ろし、石に腰掛け、海を眺める。
が、直ぐにザックを背負い頂上へ向け出発する。
休憩を要するほど疲れてないし、どうせ誰かと気晴らしや共感を目的とした会話が出来る訳でもない。ソロだから。

1,478段で心が晴れる?

それから間もなく、1,478段目が現れる。
直前には綺麗な石碑が置かれ「千四七八の修行の段に汗ふけば、心のまよい晴る々奥宮」と書いてある。
しかし、1,478段目を目の前にして、俺はまだソロ登山を受け入れることが出来ていない。それは心の迷いとして渦巻いている。
確かにソロであれば、自分のペースで気兼ねなく行動できる。しかし、登山の醍醐味は、きれいな空気や景色、食事の楽しみ等を仲間等と共感してこそではないのだろうか?
そうだ、それが登山であり、ゆえに登山は一人ですることではない。俺は今、登山ではなく一人で短時間のトレーニングをしているに過ぎないのだ。
だが、トレーニングと言いながら、ザックを背負い、その中には登山を楽しむための調理器具やイス、コーヒーや米、ハンバーグまで持ってきている。この状態をソロ登山と言わずして、何と言う。
あと残り十段程度。あと十段で心の迷いは晴れるのだろうか?

奥宮

1,478段目を左に折り返すと、巨石の下に奥宮が鎮座している。
信仰心の薄い俺だが、一応、手を合わせて参る。初めてのソロ初詣だ。
地域の人が手をかけている現状を、御山神社から奥宮の参道の各所に見てきたので、自然と奥宮に吹き溜まっていた落ち葉を掃除した。

山頂を楽しむ

1,478段目まで戻り、その延長線上に山頂への登山道が続く。
木につかまらなければ滑り落ちそうな急登坂を進むと、間もなく山頂に着いた。
展望はないが少し平らなスペースがあり、そこでHelinoxに座り、コーヒーを飲みながらメスティンで米を焚く。
米が炊き上がれば、見蘭牛のハンバーグを乗せたハンバーグライスにして食べる。
静かだ。
山頂まで登り達成感もあるが、でも、静かだ。
飯は最高に旨いが、でも、静かだ。
それがソロ登山だ。
ひと時、その静けさを味わう。

悪い癖

山頂を楽しめば、後は下るだけである。
飯を食いながら、奥宮から山頂へ登って来た方向と反対方向に見える道のようなものが気になっていた。
帰り支度を済ませると、ちょっとそっちの方へ行ってみる。
しかし、ちょっとでは済まない。
国土地理院の地図で、この方向へ行けば、どこに降りていくのかを確認しながら興味の赴くままにひたすら進む。

宇田川

暗い谷を下って行くと、川の源流があった。
静かな山の中には、自分が歩く足音と、源流が流れ落ちるチョロチョロという音だけが響く。ソロなので、俺以外の足音が聞こえたらおかしい。
チョロチョロという音は、次第に数が増え、それぞれの音も大きくなり、やがて小さな川の流れとなり、そして、もう一本の渓流と合流した。
流れが集まり水量の増えた川の水は、透き通って美しく、海が近いこんなところにこんなに美しい渓流が流れていたのかと、関心した。
美しい流れに心を奪われ、川ばかりを見ながら歩いていても飽き足りない。
そうしていると、あっという間に集落まで下りてきた。

宇田郷集落

ここからは、車を停めた御山神社まで、5kmもアスファルトを歩かなければいけない。
無計画に気の向くまま行動すると、こういう事になる。
下ったり、登ったりしながら、御山神社へ向かうが、いちいち海が臨め、とても気持ちが良い。こんな所に家があるとどんなにいいだろう。

心のまよい晴る々

御山神社も近くなった最後の坂を登っていると、また気持ちの良い海が見える。
そして前方には老婆が歩いている。
買い物を済ませてきたのだろう。重たそうな荷物を持ち、時々荷物を置いて立ち止まっては、ゆっくりと歩いている。
自ずと追い着く。
「荷物を持ちましょうか?」と声を掛けると、「もう家は近いので大丈夫です。」と言う。それもそうだろう。折角買ってきた物を見ず知らずの人相の悪い人間に預け、逃げられても困る。
そのまま通り過ぎようとすると「どこに行かれるのですか?」と尋ねてきた。
少し振り返り、老婆の歩調に併せながら、御山神社から神宮山を登って、宇田川沿いに下りてきたと説明し、御山神社が綺麗に手入れされていたことに驚いたと伝えた。
すると老婆は、隣の集落と交代で手入れしていることや、神社の祭りのこと、神宮山のこと等を親切に教えてくれた。やはり、地域の方々の信仰心は厚い。
この時、この老婆たちが一生懸命手をかけている一部である奥宮で、思い付きとはいえ落ち葉を掃除したことで、少しは役に立てたのではないかと思うと、心を洗われる気持ちになった。
また、坂の上の集落からは、時期によって、谷間に望める日本海の水平線に沈む夕陽を見ることが出来、それは美しいということも教えてくれた。
この日、初めて人と話をした。老婆は見ず知らずの俺に、心温まるひと時を与えてくれたが、ソロ登山だからこそ感じられた幸福感だろう。
そうだ。これで良いのだ。
ソロ登山を頑なに否定する必要はない。一人で行動する事には、デメリットもあるが、メリットだってあり、そのメリットを求める趣旨があっても良い。
1,478段を登り心の迷いは晴れた。

御山神社に到着

16時を過ぎたころ、やっと御山神社に戻って来た。
昼過ぎには戻る予定だったが、一日中、一人で行動してしまった。
やはり、一人は寂しいが、何だか充実感のある一日であったことは間違いない。
今年は、ソロ活動に専念するかもしれない。


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