一緒に歩くのは、同級生のゴッツ、杉、シンさん、それとシンさんの子供。シンさんの子供はまだ幼稚園児だ。
見慣れた萩の街並みを通り過ぎ、旧有料道路料金所付近から、萩往還らしい風情ある古道の姿を見る事が出来る。
しかしまだ出発したばかり、三田尻は遥か彼方である。頑張らなくては!
明木まで行くと、シンさんは幼稚園児連れなので、ここから起点へと引き返して行った。往復約15km。幼稚園児はオモチャを買って貰うために、文句一つ言わず頑張っていた。オモチャのためとは言え、自分で“頑張る!”と志しを立て貫き通そうとしている立派な子供なのである。当にこの萩往還は、その昔、志士達がその志しを具現するための手段として歩いて移動していたのだ。我々も“三田尻まで歩く”と立志したからには、貫き通すまで。
一升谷の最後の辺りには、萩往還を象徴する情緒ある石畳が続く。ポスターなどにもよく使われるスポットだ。しかし、残念ながら今日は雨で、現代の靴の裏はこの石畳で滑ってしまい、非常に歩きにくい。
昼飯の準備をしていると、杉がおかしなことを口走り始める。“人生における感謝の気持ちの大切さ”についてだ。
今まで、その事から最も遠い人生を歩んで来た杉が、今更何を言っているのだろうと、ゴッツと怪訝な顔でお互いを見合わせた。
何かの悪い宗教にでも騙されているのではなかろうか?それともよっぽど辛い事があったのだろうか?と心配になる。きっと辛い事があったに違いない。杉は言い続けた。「感謝の気持ちを忘れずに、前向きに生きなければいけない。」と。相当に辛い出来事だったのだろう。
昼飯を終え、再び歩き始める。
歩き始めると、足に痛みを感じた。きっと“まめ”が出来ているのだろう。昼の休憩前から気にはなっていたが、休憩を終えて再び歩き始めると、激痛に変わっている。痛みを感じる部分は、左右合わせて三カ所。だが、足が痛い程度の事で、自らの志しを曲げる訳には行かない。三田尻を目指すのみだ!
痛みを堪えて歩き続けていると、徐々に麻痺してきて、思いの外苦痛ではなくなってきた。しかし、何とヤワな足だろう!日頃、ほとんど歩かず、走らずだと、こうなってしまうのだ。
しばらく歩くと、山口市との境に着いた。当時の長門国と周防国との境だ。この時点で、時刻は16時。今の季節では、もう一時間で暗くなり始める。先を急ごう!
この段階で、萩往還はまだ約半分残っている。心が折れ始めた。だが、簡単に志しを曲げる訳には行かない!でも、痛いし暗い。いや・・・。
瑠璃光寺をゴールにした。
"三田尻まで歩く"は?
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