今年もこの日がやってきた。
毎年、年明けの3日に漢塾の恒例行事として行っている寒中水泳。おかげで、毎年、年明けは憂鬱で正月気分にも浸れない。しかも、年末年始の休みはこの日が最終日で、明日からは仕事である。折角の長期の休みも、最終日でこんな気分になってしまっては、台無しである。
家を出ると、車の外気温系は2度を表示している。こんな日に海に入りたくはない。しかし、俺は、集合時間に集合場所へ来てしまっている。嫌なら行かなければよいのに来てしまっている。
集合場所には、漢塾の塾長であるゴッツに声を掛けられ、断りきれなかった面々が、徐々に集まってきた。
クリスマスに手術で骨折の金属プレートを取り除いた初心者船山は、傷口が化膿してしまうと再手術となってしまうため、「見学する。絶対海には入らない。」と豪語していたが、この日、集合場所には、海パン姿で長いビニール手袋持参で現れた。こいつもアホである。
定刻になると、嫌々海パン一枚になって波打ち際に向かう。覚悟を決め、闘志を奮い立たせ、自分を追い込むように吠えながら、海に入る。足首まで浸けてみるが、海水が冷たい。冷たすぎて足が痛い。痛すぎるので、一旦、砂浜に戻る。
覚悟はしたものの、海は俺の覚悟を遥かに超えていた。時に自然は牙を剥く。
もう一度、覚悟を決め直し、海と対峙する。先ほどにも勝る闘志を奮い立たせ、とりあえず、足首までで再び挑む。が、やっぱり痛い。深い方へ進もうとするが、自衛本能がきちんと働き、砂浜へと戻らせる。
しかし、こんなことを繰り返していても、寒中水泳は終わらない。寒中水泳は、寒中水泳をやらなければ、寒中水泳から解放されないのだ。行きたくないが、行かなければならないという葛藤の中、再び意を決して、海へ入る。
沖へ向かって歩くと、足首からすね、すねから膝、膝からももへと痛い海水が上がってくる。そして意に反して波が襲ってくるので、まだ心の準備が出来ていない腰まで一気に痛い海水に浸かってしまい、悲鳴を上げる。
そう、皆さん既にお気づきだろうが、漢(おとこ)塾の行事と言いながら、その内容は全く漢(おとこ)らしくはないのだ。
だが、一旦体ごと浸かると、後はもう怖くない。浸かっては上がり、上がっては浸かりを何度か繰り返す。間でアイスも食わされる。
我々は、年の初めに寒中水泳を行うことによって、無病息災を願う、或いは、心身の鍛錬をというような、そんな美しい目的意識など持っていない。ただ、面白いことをやりたいだけだ。ただ、非日常の刺激を求めているだけだ。嫌々ながらも毎年海に入っている理由は、これに尽きる。
しかし、寒中水泳を始めてもう十数年。いつの間にか40代も半ば。まだ若い頃の勢いで始めたが、数年後に50歳になるおっさんが、冬の海でキャピキャピ言ってるのもどうかと思い始めた。しかし、嫌々ながらも集まってくる奴等がいる。皆、面白いことを求めているのだ。手術痕をビニール手袋で覆ってまで。
新年を迎えるに相応しい、そして面白い、そして辛くない企画は他にもきっとあるはずだ。
我々の来年の年始の行事は、様変わりしているかもしれない。
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