長門峡の歴史
今となっては秘境である猿渓瀑布(えんけいばくふ)。職場のOBの井町さんに猿渓瀑布の存在を伝えると、我々では興味を示さない歴史について紐解き、資料提供してくれた。
その概要は、かつて容易に足を踏み入れることは出来なかった長門峡だが、萩市出身で日本画家の高島北海らが長門峡保勝会を組織し、絵を売って得た収益で遊歩道を設置するなどし、景勝地として整備したとのことであった。
そして井町さんは、何十年前のものか分からないが、吉田初三郎という鳥観図画家の第一人者が描いた長門峡の地図を入手しており、それも見せていただいた。
そこには、かつてあったと聞いていた、金郷渓(かなごうけい)へと続く橋が描かれており、猿渓瀑布まで観光として歩いて行けていた時代の姿を確認できた。
そして、今年は高島北海が長門峡と名付けてちょうど100年の記念すべき年である。
前回、比較的容易にアクセスできる陸路ルートを確立でき、その経験が役立つのであれば、とても嬉しい話である。
陸路ルート探索を共にした初心者船山も誘い、井町さんを猿渓瀑布へご案内することにした。
早速、3人で歩き始める。
前回は、藪漕ぎをしながら尾根を幾つも越え、随分と苦労したが、もう最低限の高低差で移動できるルートは発見しているので、精神的な不安はない。
その慢心から、最終的に猿渓瀑布に下る尾根を一つ間違え、約60mの急な斜面を登り返すことになってしまったが。
最後の斜面
もう、猿渓瀑布は目の前であるが、最後にやや急な斜面を下らなければならない。
今回は、ガイド役なので、井町さんが急斜面を昇降しやすいよう、ロープを持参した。
木にくくり付け、下りながら、そしてなるべく安全なルートを選びながらロープを這わせていく。俺に続いて、初心者船山が、ロープづたいに下っている。
もう少しで猿渓瀑布直下の河川敷に降り立てるという、その時、突然、ザザザーーっと音がし、驚いてその方を見ると、初心者船山が細身の雑木の根本に掴まりぶら下がっている。
滑り落ちて、たまたまそこにあった木に掴まり、落下を免れたようだが、ロープづたいに下って、なぜそうなるのか?全く状況が理解できない。
初心者船山が初心者船山と呼ばれる所以である。
そんな事もありながら、何とか無事に猿渓瀑布に辿り着くことは出来た。
猿渓瀑布
ちょうど昼頃に猿渓瀑布に到着した。
何度見ても、迫力はある。
何と言っても、簡単には来ることのできない場所に到達したという特別感がある。
井町さんも同様に感じていただけたのだろう、しきりに写真と動画をカメラに収めている。
ひととおり猿渓瀑布を鑑賞した後に、昼食を食べて一息入れた。
金郷渓探索
昼食を終え、前回は足を伸ばさなかった下流側を散策してみることにした。
するとそこには、これまた素晴らしい景色が待ち受けていた。
これが金郷渓である。
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